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2005年12月14日 (水)

長作観音堂

山梨県小菅村426
1332

 中央道を上野原ICで降りて、山道を40分ほど走る。山深い集落をいくつも抜けていくと、やがてすれ違う車もまばらになる。草葺きの民家に今も老婆の生活が営まれている場所、それが長作観音堂の建つ小菅村だった。

 標高の高さから来る冷え込みは強く、道端には雪が寄せられている。気温は零度に近く、そして山肌に寄り添うように観音堂が建っている。
 創建は平安時代にまで遡るというが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、昭和初期に再発見された。まるで考古学のような発見という言葉も、この山奥ならば違和感はない。

 鎌倉時代の寺院建築には新しい構造技術が取り入れられた、と建築史の教科書に書いてある。しかし、この観音堂にはそういった特徴は見られない。

 だがむしろ、和様の持つシンプルさは、このロケーションにおいて抜群にフィットする。そういえば飯能の福徳寺阿弥陀堂を訪れた時にも、これとよく似た印象を持った。とにかく美しい。

 忘れられがちなことだが、実はついこの間まで大半の日本人は縄文の竪穴式住居と大差ない住居に住んでいた。寒く貧しい山村でも「土座」に暮らした。建立当時には今にもまして僻地だったに違いないこの場所に、本物で上質な建築が建てられた事のインパクトは想像を超える。

 この建物が方三間の正堂に一間分の礼堂を付した平面であることは、屋根の折れている部分で分かる。後から礼堂部分を付け加えたかのように作るのは、礼堂があくまで付加された機能であることを形態で示すためだ。仏は別格であり、また慈悲深くもあると建築が教え、それは精神の拠り所となった。

 日本でも宗教が意義を持っていた時代、それを知るのは名刹においてではない。

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